DVから逃げ出して生活を立て直すきっかけとなった生活保護

まさか自分が生活保護を受けるようになるとは思ってもみませんでした。

しかし、今こうして愛する娘とささやかな幸せを築いているのは、

勇気を出して夫から逃げ出した「あの日」があったからです。

 

当時の私は、度重なる夫の暴力に抵抗する気力も失っていました。

夫の怒号や私の悲鳴で、ご近所が警察に通報したことも一度や二度ではありませんでした。

 

実家に逃げた私は夫に「戻ってこないなら二度と子供に会わせない」と脅され、

連れ戻され、また暴力を振るわれるという日々の繰り返しでした。

 

体重は激減し歯は抜け落ちてしまい、実年齢より20歳以上は老けて見えていただろうと思います。

うつ病を発症し働くこともままならず、夫からは一円の生活費も渡されませんでした。

 

夫が出勤した後にこそこそと自室から出て、冷蔵庫の中から夫や子供たちの食べ残しを漁り、

暗いリビングで一日を過ごす。

夫が帰宅する時間を見計らって自室に戻り、殴られる恐怖におびえ息をひそめている。

 

中学生の長男は、こんな情けない母親のそばに寄り付かなくなっていました。

 

一人で家を逃げ出したら夫に親権を奪われてしまう。

どんなことがあっても二人の子供と離れることはできない。

母親として、この一念だけで何とか生きているようなものでした。

 

しかし、状況は悪くなるばかりでした。

気持ちとはうらはらに、子供の世話や教育をする気力を失っている母親に、

長男は愛想を尽かして口も利かなくなりました。

天真爛漫な性格だった長女も日に日に暗い表情を浮かべ、

まるで自分の写し鏡のようになっていました。

 

そんな孫たちの様子を心配した私の母親から、子供の親権を含め、

夫との離婚について区役所のケースワーカーに相談することを勧められました。

区役所ではDV被害者の相談を受け付ける窓口があり、弁護士やケースワーカーが対応してくれました。

 

なぜか離婚を渋る夫に対しケースワーカーが説得してくれて、離婚届を提出しました。

二人の子供と暮らすことを強く望んだ私でしたが、長男は父親と生活することを選択しました。

わずかな身の回りのものをバッグに詰めて長女と共にシェルターに一時避難をしました。

離婚が成立したといえ、DV加害者の夫が執拗につけ回し、

再び暴力を振るうという可能性があったからです。

 

シェルターには私と同様の環境の女性たちが暮らしていました。

ここに入居しているうちは外部との連絡を絶たれ、実の母親にさえ電話をすることもできませんでした。

 

ここでの一ヶ月は、精神のバランスを整え、長女と二人で新しい生活をする準備をするためのものでした。

しかし、うつ病を抱え経済的に頼れる人もなく、預貯金すら持たない女性が、

離婚して子供とふたりで生きていくにはシェルターの外の環境は余りにも厳しいものでした。

 

ケースワーカーにより生活保護の申請を提示されました。

その場合、DV被害者である私は地元の区内の都営住宅に入居することはできないということでした。

長女にとっては慣れ親しんだ友人がいる学校に通うことが最良だと思っていましたが、

夫が長女を利用して、再び近づくのを防ぐため、転校をする必要があるからです。

 

夫に居場所を突き止められないように、以前の交際関係を断ち切り、

半年間は親族にも現住所を知らせてはならないということ。

長女は友人のいない学校へ転校しなければならないこと。

これが生活保護を受給するために、私に突き付けられた現実でした。

しかし、私には他に選択肢はありませんでした。

 

まずは、私が働けるような体力を回復させ、うつ病を克服して仕事を探すこと。

目先の目標をここに設定して母娘、二人で新しい生活を始めました。

 

心配していた長女の学校生活は、思いがけず順調で、明るい笑顔を取り戻しました。

離婚前は治療費を工面できずに、うつ病の診察や服薬が滞っていましたが、

生活保護を受給してからはお金の心配なく受診できるようになりました。

このため、症状も安定し、短時間ですがパートタイマーで仕事をしています。

 

今は長女と二人で暮らしていますが、

いずれは長男を引き取り一緒に暮らすのが今の私の目標になっています。



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