私は仕事上生活保護を受給しているお客様と接する機会があります。
その中でも、料金を滞納された方への督促活動を行う際に生活保護受給者に当たることがあります。
その際生活保護であることで支払いが厳しい、期限を延ばしてほしい、
といったお願いをされることが多々あります。
お支払いをいただけるのであれば、と基本的には支払いをお待ちすることの方が多いです。
その際、多くの方が「生活保護を受けていて迷惑をかけて申し訳ない」と何故か卑屈なのです。
一般の労働者・納税者に比べて負担も軽くなり世間に申し訳ない、という意識があるのでしょう。
しかし多くの生活保護受給者は望んでそのような苦境に陥ったわけではありません。
泣く泣く、最後の拠り所として生活保護受給を求めた、という人が多数でしょう。
憲法25条は、国に対して国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障せよ、
という生存権を定めた規定です。
生活保護は、生存権に基づいた国民の権利・政府の義務です。
自力で「健康で文化的な最低限度の生活」を営めない場合、頼っても良い規定であって、
何ら違法なものでないことは明らかなのです。
なぜ、卑屈になる必要があるのでしょうか。
もちろん権利だからといたずらに要求ばかりせよというのではありません。
しかし、望まずに陥った状況、自分ではどうしようもない状況の中で卑屈になることは
自分をこの上なく痛めつけ苦しめさせる行為です。
人は自尊心がなければ、自信がなければ、何事もうまくいかないものです。
常に卑屈で劣等感に満ち、自信もない人が社会に出て行って成功できるでしょうか。
保護を受けることに卑屈でいることは、社会復帰、脱生活保護を目指す上で大きな障害になってしまいます。
私が一番危惧しているのは、生活保護=惨め、というイメージが国民の間に定着してしまうことです。
まるで前科一犯、とでもいったイメージが付きまとっているように思います。
そのようなイメージが付きまとうと、真に保護が必要な社会的弱者が
貧困から立ち直る術としての生活保護を自分から拒絶してしまうことが考えられます。
最後のセーフティネットといわれる生活保護を受けないとなれば、
一体どうやって生活するというのでしょうか。
何度も言いますが、国民を貧困から救う・守るのは政府の義務なのです。
国民の権利なのです。卑屈である必要はありません。
権利を行使して、貧困から脱出してほしい。
私は生活保護に対して卑屈である必要はないと考えます。
三浦 明
私も生活保護を受けて5年ほど経ちます。
当初は保護を受けていることを書くし生活をしていました。
或る日、町内会を手伝うとに、それからは何度も溜まれるようになり手伝ったのですが、親しくされる人に生活保護のことを告白したら、直ぐに近所の人に知られそれ以来人間不信陥ってます。
現在でも町内会を手伝ってますが、卑屈にはならないようにしてますが、私を見る目は、蔑んだ視線を何度も感じてます。これからも今の生活は続き生活保護から抜け出すことはあり得ないので、ひっそりと暮らすつもりです・
60代独身