世帯分離とはあまり聞き慣れない言葉ではないでしょうか?
言葉通り世帯を分けることなのですが、一体それで何が変わるのかというと、
世帯分離をすることによって生活保護を受けられるケースがあるのです。
たとえば、親子2人で暮らしていたとします。
息子さんは最近は身体の調子が悪くて働きに行けず、お母さんは要介護状態。
お母さんの年金で細々と暮らしているような場合、
健康で文化的な最低限度の生活ができているかどうか怪しいものです。
実際に中年の息子さんの方は定期的な通院もできていない状態で、お母さんの介護もほぼ無理です。
そこで、世帯を分離してそれぞれ一人世帯にし、お母さんの方に老人ホームに入ってもらうのです。
一緒に住んでいれば生計維持は同一ですが、各人が別のお財布で生活し、
尚且つお互いの面倒を見る余裕がないのであれば、生活保護を受けられる状況になってきます。
ヘルパーさんを利用したり、介護制度をうまく活用できるようにもなるでしょう。
一人世帯のほうが政府の恩恵を受けられるというのは、何だか矛盾しているようにも感じますが、
もう大家族で住んで皆で助け合えるような時代ではなくなってしまったのですね。
それから、生活保護になる場合、
家族や親戚に保護対象者を金銭的に面倒見られないかどうかの依頼が
手紙や電話で通知されますが、明らかに金銭的余裕があるような状態を除けば、
「面倒は見られない」といわれれば、ケースワーカーさんにあまり深追いはされないようです。
でも、原則的には家族や親戚で助け合って面倒を見るのが大前提です。
「あいつは勘当したから」のような理由で、金輪際面倒を見ないというようなことは間違った考えでしょう。
長年音信不通だった人に関して、いきなり関係者から「金銭的援助をお願いします」
といわれたらビックリするでしょうが、これを機会に和解するのもアリなのではないでしょうか。
とかく、生活保護を受けざるを得ないような状況にいる人というのは、
さまざまな事情を抱えていて、一筋縄ではいかないと思います。
ひとつひとつのケースが、その人の生き様を映し出していて、担当者も頭を悩ますところなのでしょう。
いわゆる水際作戦のような、保護申請書をなかなか受理しないというのも、仕方のないことかもしれません。
そうはいっても、本当に必要な人に行き渡っているかというとそうでもないようで、
この辺は、民生委員さんなどの腕の見せ所かも知れませんね。
あとは、悪用する人が減ることを祈るのみです。