生活保護受給から打ち切りまで

4年ほど前ですが、東京の某区に住んでいた私は生活保護を受給し始めました。

一応契約社員として会社に通い、給料は貰っていたのですが、

障害者枠での雇用だった私の稼ぎでは食べていくのがやっとでした。

家賃も払おうとすると赤字になり、スーパーの支払いもカードローンでやっているような状態でした。

 

その現状を兄弟に話し、妹に上京してもらって区役所の生活保護課に出向きました

(やはり身内についてきてもらうと受給資格を取得しやすいようです)。

 

保護費で貯金をしてはいけないこと、

就職を促すために保護員が定期的に訪問することなどを言い渡され、

もっと家賃の安い物件に引っ越すことを条件に保護費を受給できることになりました

(引っ越しにかかる諸経費も保護費から出ました)。

 

また、私は精神障害があり、そのため月々5万円ほどの障害者年金を受給しています。

その分と会社の給料とを差し引いた額が保護費として受給されていましたが、

生活はグッと楽になりました。

とにかく、スーパーの支払いをカードローンで済ませることはなくなりました。

 

しかし、会社が3年目という辺りで持病のアトピー性皮膚炎が悪化し、

仕事を辞めざるを得なくなりました。

毎日寝たきりの状態だったのですが、

退職手続きをする日だけ何とか起き出して契約満了ということで辞職しました。

 

そして完全に年金と保護費に頼り切った無職の生活が始まりました。

生活リズムはどんどん乱れ、アトピーの症状が軽くなってからは頻繁に飲酒に耽るようになりました。

そんな状態でも保護課の方は定期的に私のアパートを訪れ、

就職に向けて努力するようにと声をかけていきました。

 

その後、半分引きこもりのような状態で生活していましたが、

ある朝イライラが止まらずにアパートの隣の家の窓ガラスにワインの瓶をぶつけて割った事が元で、

アルコール病棟に入院することになりました。

冬の3ヶ月でしたが、その間入院費は保護費から全額支給され、

無事退院してからまた飲みだしました。

そのことも保護員にはバレバレだったのですが、

「とにかくブラブラしていないで再就職するように」というお達しだけもらっていました。

 

が、その後「アパートの一階に越してきたバングラデシュ人がうるさい」という理由でまた保護費で引っ越しし、

引っ越した先でも一階の物音や話し声が気になって止まらず、

ある晩飲酒していた勢いで床を蹴り続けました。

当然警察が止めに入り、そのことで保護打ち切りになりました。

 

今は郷里に帰って再び保護申請をし、医療費などを保護費で支給してもらっています。

今度こそは問題を起こさないよう、気を付けて生活してゆくつもりです。



生活保護 関連記事


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL