受給せざる状況になったので受給しました。

生活保護を受給して1年を越えました。私は47歳独身です。

受給するまでに至った経緯は、私が働けない体になってしまったからです。

以前は製綿工の仕事を正社員の契約で働いていました。

製綿工というのは、病院で扱うガーゼや脱脂綿を製造する仕事です。

病院関係なので、クリーンなイメージを持たれるかもしれませんが、現場は重労働です。

工場の仕事なので、いつも立ちっぱなしだし、朝から晩まで重い物を持たねばなりません。

賃金も安いし力仕事だったので、何かの理由を付けてやめていく人が後をたちませんでした。

 

私もいつまで続けられるかなと不安がありましたが、病気を発症してしまいました。

仕事中に胸が苦しくなることが多くなりました。

最初のうちはちょっと我慢すれば落ち着いてきましたが、

そういうことが度々起こるので、我慢できなくなってきました。

 

ついに朝、胸が苦しくなり、出社できないまでに追い込まれ、病院に連れていってもらいました。

診断結果は「心疾患」でした。

医師より「しばらく仕事を休んだ方が良い。」と言われました。

会社からは「症病傷手当」の受給がおりました。

1年半だけ通常もらっていた給料の8割が受給されることになり、

生活はギリギリですが、最低限の生活は保障されました。

 

安心しているのもつかの間、この数ヵ月後に会社が倒産してしまいます。

その後、元気になるにしても戻れる職場はありません。

転職を余儀なくすることになりますが、心疾患の症状がそれほど思わしくなく、

仕事を選択するものがありませんでした。

 

仕方なく所有していた車、単車は廃車する憂き目にあいました。

貯金を切り崩して生活しなかればならなくなり、今後の生活の不安が増すばかりでした。

税金、水道代、健康保険、年金の支払いの滞納が毎月続きました。

日中も仕事をして無いわけですから、人の目をきにして、家の中にこもりがちなってしまいました。

 

瀕すりゃ鈍するではありませんが、私に対してもうひとつ追い討ちをかけてきたことがありました。

新たな病気の診断です。

以前から両脚の浮腫みに悩まされていましたが、お金がないので病院に行かず、放置していました。

生活に支障がないので、ほっておいたのですが、痛みが続くことが多くなりました。

 

私は我慢できなくなり、お金があまりないのですが、仕方無く病院にいきました。

すでに私の足は紫色になっていて、壊死するような状態でした。

医師からは「下肢静脈りゅう」と診断されました。

しかし、脚に血栓がたまっているの可能性があり、それが今後、死にいたる恐れがあるので、

造影剤をいれて検査をしなければならないと言われました。

「下肢静脈りゅう」では死にませんが、放置して改善していかなかったので

「深部静脈血栓症」になっている恐れがあったのです。

 

死にたくはありませんが、残念ながらお金がありません。

こまっていたので、しぶしぶ近所の人に話すと民選委員の人を紹介してくれました。

私の酷い両脚を見て、もう生活保護しかないなあと判断して頂きました。

申請が通り、生活保護受給するようになりました。



生活保護 関連記事


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL