季節は春、仕事もリストラ更新も出来ず、
その後はハローワークへ通う日々
なかなか適職も探せなくそこにも挫折感に追い込まれます。
とうとう家賃も2ヶ月たまり他に頼れる人もいない環境へ追い込まれるのです。
あれは子供はまだ小学生3年になったばかり、
でもこのまま国へ相談すると可愛い子供は施設へ送り込まれる事にもなります。
ここで私が考えたのは、最後の有り金で出直し勝負を掛けます。
それがホームレスの入り口でした、
荒川の土手の藪の中にテントを張り家族と知人1名の4人でホームレス生活が始まり、
ここで色んな体験をする事になります。
春先の土手のテント生活、天気が良い日はおみごとピクニック環境になり自然を満喫します。
しかし春は台風が多く河も増水する為に、テントを残して子供をつれてリュック1つ背負って、
荒川の土手の上に待機したりと、徹夜もありました。
河は朝方に満ちて多く増える為に台風時は朝方、堤防が危なくなり、
その時に地元ホームレスの方とも顔を合わせる事になり、
少し面識が出来たら挨拶を交わす程度のお付き合いが始まります。
たいがい朝、昼、夜にグランドが片方側でも数箇所あるので水不足にはならないのです。
水は焼酎の空ボトルを5-6本、自転車に積んでくみにいったりと色んな生活の仕事があります。
その時お知り合いになった高齢の65歳ぐらいの老人に、
ビニールテントでは生活も困難だし、家族ならなおさらしっかり眠れないと良くないよ、
老人は元建設業の人なので鉄パイプを土台に台風が来ても、
びくともしない鉄壁のパイプ小屋に住んでいたのです。
そのときに老人からパイプ小屋の作り方、トラロープの張り方等の基本を教わる事ができたのです。
荒川にきて3ヶ月目でビニールテントから鉄のパイプのハウスの生活になり少し楽にもなります。
その頃、老人にシルバーとして生活保護を受けてみたら如何でしょうそのような話題はでていました、
しかしホームレスの老人の答えは、福祉事務所にお世話になると、何から何まで縛られて大変だよ、
俺はこのまま当分は自由な生活をここでしていきたいんだ、
そのような考えの人が多くいたようです。
中でもホームレス歴4年で元大工さん、しかも生活保護6ヶ月経験者の方がいました、
理由はお答えしてくれなかったのですが、俺には合わなかったって方もいらっしゃいます。
色んな人模様があるホームレス環境だと思いました。
私はその後は荒川から面接を受けて製本会社へ
アルバイト等を月13万ほどで貯金しながら生活を続けたのです。
企業には、大手清掃会社の主任でもお勤めしました、
しっかり清潔第一で毎日、荒川のグランドでシャワーを浴びて維持できていました、
冬場は週2回銭湯にも行き綺麗を維持していたのです。
子供が小学生だったので匿うような生活も厳しかったですね、
見つかれば施設の2文字等、よく妻も知人も頑張ってくれたと思います。
結果的にお金は30万ほど貯金して、
もう少し頑張ってアパートの資金として一般人に戻れると思っていたのですが、
妻が体を壊してどうにも行かず私が地元の都内福祉事務所へ相談することになります。
それからの段取りは、荷物をもって事務所へ行く、手続きの書類を書く、
同時進行で事が流れる当日には家族寮へ移動します。
それからそこに2ヶ月間生活を、始めに健康診断を受けて
その時ですね妻が血圧が上180と高血圧で危なかったのです。
もう少し遅れたら脳梗塞、心筋梗塞に移行してたようです。
寮は家族寮が幾つもあり、他の人との接点は持たないし気兼ねしない生活でした、
生活費は分割でケースワーカーの方からもらえます。
食事も炊飯器とお茶とレンジ、掃除機、布団はあります。
もちろん綺麗な環境で廊下エントランスの掃除は順番で廻します。
シャワーはお風呂付で夕方に順番で一人200円だったと思います。
その後寮から行動して不動産周りをしてお部屋探しが始まりスタートに入る事になるのです。
結構、助けて頂きました感謝させて頂きます。