母親の義務

私の母の話です。

私が中学生のとき、父親が失踪し母が役所の人から生活保護を進められました。

しかし、失踪した父親の年収があり対象外だということで、なにもできないとそのまま帰らされました。

 

それからの生活は壮絶でした。

水道電気ガスとすべて止められて、それでもどこにも行くところがなく、

ゴミ捨て場で拾ったお弁当の残りを食べたり公園の水道で夜中に真冬に洗濯をしたりしました。

妹は臭いといじめられ学校にいかなくなり中2で家出し、援助交際をしていたようでした。

 

私は中学を卒業するとバイトばかりしていました。

高校は都立の進学校に合格していたため中学の先生と母親に言われて通いましたが

学費を自分で払わなければならず、家の家賃も交通費も払うために

ほとんど毎日働き、高3で卒業が難しいと言われて辞めました。

 

母は働いたことがなく「私はこどもが小さいから働けない」と言って働きませんでした。

高校をやめると、昼間に働けるようになったので小さい会社の事務の仕事とアルバイトをかけもちし、

大学にいくための貯金をしながら家族の生活費を稼いでいました。

 

20歳になり、予備校代と大学の一年目の学費と一年分の生活費が貯まったので

仕事をやめ予備校に通い始めました。

母には一年分の生活費を渡していました。

 

しかし、半年ほどするとまた母から「家賃を滞納しているので生活費を貸してほしい」と言われました。

渡していたお金はこどもたちに使ってしまったと言われました。

 

大学用に貯めていたお金を母に渡し、予備校をやめ、妹の紹介で水商売を始めました。

お昼はまたいくつもバイトを掛け持っていました。

このときは毎日何も考えたくなくてただただ起きている時間はひたすら働きました。

夜もほとんど眠れず深夜のカラオケ店などでもバイトをしました。

 

そんな生活が27歳ごろまで続いたある日、

父親が帰ってきたと連絡を受け、父に会い、母と離婚してもらい、

母が生活保護を受給する事ができるようになりました。

 

家族みんなに非難されました。

母は生活費を私が出していたことを妹や弟たちにも父にも言っていなかったのです。

 

生活保護費は30万くらいだと聞きました。

家賃については請求が来ていたため自己破産の手続きをしました。

法テラスでの手続きなので、無料でしたが、契約書を読んでみると、

生活保護から抜けたら費用を請求する趣旨のことが書かれていました。

 

私はいま普通の会社員と結婚し、出産し、やっと働くことをやめ大学に通いはじめました。

やっと人生を少しずつ取り戻してきています。

 

世の中には不正受給をしてベンツなどの高級車を乗り回す人もいるようですが、

子供がいる方で、生活保護が必要な方は絶対に子供のために生活保護費を受給するべきですし、

社会も積極的に救済するべきだと思います。

 

私がいま普通の生活ができているのは、ただ単に運が良かっただけだと思っています。

いま思えばいくらでも道を踏みはずしかけた瞬間がたくさんありました。

親の庇護がない年頃のこどもは、特に女性は、親が守らなければ誰も守ってくれません。

搾取されて棄てられるだけです。

私の一個下の妹は、普通の仕事や普通の生活が出来なくなっています。

未成年の子供がいる母親は子供の将来のために生活保護を受給してあげてください。



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