生活保護を受け始めたのは今から30数年前の話です。
私の家は母子家庭で、母と私たち子供三人で暮らしていました。
母は父と離婚したため母の実家がある田舎に引っ越してきました。
ただし、実家に母の兄弟もいたため、
同居はせず公営住宅に入居することになりました。
しかし母は田舎暮らしに必要な自動車免許ももっておらず、
学歴も中卒、そして幼い子供三人(一番下の子はまだ生後数か月)をおいて
働きに行くことは困難で生活保護を申請しました。
何も知らなかった母は直接市役所に出向き
「生活保護を受給したい」と担当者に伝えました。
すると「アンタみたいな図々しい人は初めてだ」
とハッキリ言われ追い返されたそうです。
しかも隣町に親戚が住んでいるから、
そちらから援助してもらえとキレられたそうです。
もう生活出来ないと知り合いに相談したところ、
近所の民生委員を通さないなんて無謀だ、却下されると教えられました。
その後、民生委員に相談して生活状況を市役所に報告してもらいました。
すると今度は受給OKとなりました。
ただし、隣町に住む祖父母から「援助はできません」とういうのを一筆書いてもらってそれを提出させられました。
ただ、地域によって手続きや考え方に違いはあると思います。
母も本当に助かったと思います。
でも、ここからが地獄でした。
生活に制限が設けられます。
近所の目があります。
生活保護には助けてもらいました。
本当に有難かったです。
でも、嫌な思いもたくさんしました。
近所のおばさんたちが我が家で生活保護受けてるのを知っていて、
まだ若かった母に対し「いくら貰ってんの?」と
買い物行った店のレジの大勢の前で聞いてました。
母が腰痛を発症歩けなくなり、しかも私たち兄弟全員風邪をひいて、
病院にはタクシーを使いました。
近所の人に通報されました。
すぐ市役所の福祉課の人が訪問して家に入ってきました。
我が家の状況を見るなり帰っていきました。
後日、福祉課の人が母に教えてくれました。
「あそこの家は生活保護を貰ってんのにタクシーを使っている!
私たちの税金で贅沢している!」と電話が入ったそうです。
福祉課の人によると、こんな通報珍しくないそうです。
そして匿名で、だいたい同じ人物だと。
ちょっとしたことで誤解され、何度通報されたかわかりません。
ここに書ききれません。
妬みもあります。
我が家の事で「あの人だけ何もしないで生活保護受けててズルイ!私も欲しい!」
と民生委員に詰め寄った女の人もいたそうです。
働いて足りないところを生活保護でカバーする条件でしたので、
母は何もしてない訳ではありませんでした。
家では寝ないでずっと内職してましたし、日中は歩いて行ける距離で働いていました。
民生委員の人は「生活保護受けてる事は、絶対に誰にも言わないでほしい。
妬み嫉みが本当に多いから」といったそうです。
でも母は限られた人しか知らないはずなのに、
なぜか広まっていると不信感を抱いていました。
近所の生活保護受けていたおばあちゃんは、
お菓子屋さんにケーキ1個買いに行っても
「しょっちゅうケーキ食べて贅沢だ」と通報されたと嘆いていました。
私が中学に入ってからは毎年春の恒例行事がありました。
私だけ。
それは私だけ担任の先生から呼び出され
「お父さんに会ったりしてないか?お父さんからお金なんかもらったりしてないか?」と聞かれるものでした。
そして最後に先生は必ず「ごめんな、こんな事聞いて。悪かったな・・・」
といいました。
これが高校3年生まで続き、不審に思ったので、高校の担任に問いただしました。
すると言いにくそうに「生活保護の絡みで、市役所の福祉課の職員からお願いされたんだ」と白状しました。
もう何もかも信じられなくなったのをおぼえています。
私は手に職をつけたかったので、先生が奨学金利用しての進学をすすめてくれました。
奨学金に関する資料も揃えて渡してくれました。
それで市役所にも就学に関する貸付金の問い合わせにいきました。
後日、担任の先生が言いにくそうに
「福祉課の職員が直接学校にきて、なぜあの子を就職させないんだ?」と言ってきたそうです。
本人の知らない所で学校にまで介入するので、びっくりしました。
私も18になるし、どっちみち生活保護は受けられなくなるので堂々と進学しました。
生活保護は本当に良い制度です。
子供の頃に助けてもらえたので、今は心から素直に税金を納めようという気持ちを持てています。
ただ、すごく嫌な思いをするのも事実です。
人が信じられなくなります。
この部分は地域性が関わってくると思います。
私は小さい頃、母をいじめる近所のおばさんたち全員大嫌いでした。
こんないやな思いをしてお金貰うなら、いっそのこと働きたいと小学生の時に思った程です。